そもそも「依存」について考える

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■そもそも、スマホ依存って…?
 スマホ依存という言葉は、最近ではよく見かけるものになりました。
 「自分も、うちの子もスマホ依存なのでは?」そう思う方もいらっしゃることと思います。ですが、イメージだけで、「依存」という言葉を使っていると、本質を見落とすことになります。
 「依存」という言葉は、例えば、「アルコール依存」などのように、一種の病的な状態を指します。病的な状態とは、その事柄があることで、心身の健康や社会生活に害がある状態を指します。
 逆に言えば、たとえば野球選手に「野球依存」という人は少ないでしょう。つまり、時間の多い、少ないだけでは、依存とは言い切れない、ということです。
 スマホで言えば、スマホに対し、物理的、心理的に傾倒する度合いが大きく、結果的に心身の健康や、社会的生活に支障をきたしている状態、それがスマホ依存です。
 だとすれば、今「スマホ依存」と言われているほとんどの人は、実はスマホ依存ではないでしょう。
 なんだ、よかった。という話ではありません。確かに、長時間のスマホは健康などに害があるでしょうし。
 ここで言いたいことは、「スマホ依存」というレッテルを貼ることで、見えなくなるもの、考えられなくなることがある、ということです。
 たとえば、子どものスマホゲームを、自分でしっかり管理させたいとします。その時に、「あなたスマホ依存じゃない」ということは、おそらく反発を生むだけで、プラスにはならないでしょう。
 さらに、安易に「依存」という言葉を使うことで、依存症を生んでしまう、または、ひどくしてしまうことがあります。
 精神病理学の世界では、「依存症依存」という言葉があります。
 自分が依存症であることに依存してしまうと、そこがかりそめの安住の地になってしまい、逆に依存症から脱却しにくくなります。
 「どうせ自分は依存症なんだから、ゲームをするのも仕方がない」というような、一種の開き直りです。
 もちろん、本当に「依存症」になってしまったら、一刻も早く治療をすべきです。ですが、そうでない人まで依存と呼ぶことは、損が多く得が少ないのです。